リプレイは“正確”ではない

TRPGのリプレイは、実際のセッションのプレイ記録であると同時に、1つの完成された読み物でもある。
どちらがより強調されているかは、リプレイごとに違う。
書き手やリプレイの目的によって内容が、記録よりになったり、読み物よりになったりするからだ。


ただし。
リプレイはプレイ記録だが、正確にセッションを再現しているわけではない。
なにかしら追加や削除といった、編集作業を行なっている。
プレイをそのまま書いているわけではないのだ。




例として、引き続き「ヒトモドキ」の話。
ネタばらしというか、ぶっちゃければ、今回のリプレイは“事実8〜9割、創作1〜2割”である。
例えば丈二は実際のセッションではあまり発言がなく(PL発言もそれほどなかった)、牙行はPL発言をよくしていた。
正は常時あんな口調ではなかったし、チエもリプレイほどなめらかには、シリアスなセリフは言ってない…というよりは長ゼリフそのものがなかった。
セリフだけではない。
クライマックス1での、丈二とチエのやりとりに至っては、全てワシの創作である。


なぜ、そんなことをするのか?
それはリプレイを読み物として読む時に必要になるからだ。
実際のセッションでは、丈二とチエはほとんど絡まなかったし、チエが由衣を助けようとする時、動機の説明はなかった。
これでは「丈二がチエの保護者的立場」というおいしい設定が生かされてないし、「チエがどうして、報酬もなく身の危険も省みずに由衣を助けようとするのか」も分からない。
だが、それでもセッション中に行き詰まったり、キャラの行動やセリフに違和感を感じることは全くなかった。
なぜかといえば、参加者同士の暗黙の了解だったり、共通認識だったり、それぞれのイメージで補完していたりするからだ。


実際にTRPGセッションをする時は、それでいい。
だがリプレイとして人に読ませる物を書く時は別だ。
読者のほとんどは実際のセッションに立ち会ったわけではない。
当然、暗黙の了解や共通認識などないし、イメージで補完もできない。
できたとしても読むのに疲れてしまっては、読み物ではない。
だからこそ…
関係のない部分を削り。
わかりにくい部分をわかりやすく書き直し。
説明が足りないところを補完するために、シーンやセリフを追加したり、創作する。




リプレイは記録である。
正確に書こうとすることは正しい。
だが、記録をそのまま書いてしまうと分かりにくい部分や、説明が足りない部分、冗長な部分は必ず出てくる。
リプレイが読み物でもある以上は、削除や追加や推敲は避けられない。
それはけして嘘を書くことではなく、“セッションを完成させるため”に必要な儀式なのである。




※追記.「ヒトモドキ」においては、削除はセッションと関係ない雑談だけであり、ほとんどが追加であることを断らせていだたく。