原点に帰っての考察3〜または運命の出会い

言いたい事が言えない。
やりたい事がやれない。
そんなつらい状態だったワシが出会ったゲーム。
それが《ビーストバインド》だった。
人間でも魔物でもない中途半端な存在、半魔として事件に挑む、このゲームには革命的なシステムが搭載されていた。
エゴと絆である。
PCは時にエゴによってPLの意思に反して行動し、絆によってしがらみに縛られる。
特に優れていたのが“絆を使うためには相手に話しかけられなければならない”ところである。
相手がいなければコミニケーションがとれない。
そんな当たり前の事をシンプルなシステムで表現した。
このシステムのおかげで、ワシはようやく表現の場に立てるようになる。
セリフも増えたし、自分のPCの演出も相手を通してできるようになった。
相手はワシにとってなくてはならなかったし、ワシも相手にとってなくてはならない存在となった。
ビーストバインド》によって再び、キャラクターの唯一性が復活したのだ。
ビーストバインド》に慣れた頃には他のゲームでも多少は発言できるようになっていた。
とは言え、当時はそうした自覚はなかった。
今から考えれば…といったレベルの話で、感覚として分かっていてもハッキリと言葉で説明できない、あいまいなものだった。
感覚が言葉に、そして理論として確立したのはファー・イースト・アミューズメント・リサーチ、通称FEARの代表作でもある2つのゲームを体験してからだ。