原点に帰っての考察2.5〜または出番を賭けたサバイバル

前回はユーザーの要望によって自由度が増した結果、キャラクターの唯一性が保証されなくなり、TRPGが話を進めるグループになるための、“言った者勝ち”的なサバイバルのような時代になった事を書いた。
残念なことに、そうした流れはさらに加速した。
一部で新世代TRPGと呼ばれたゲーム達の登場である。
新世代TRPGではルールによる規制をできるだけ外して、ロールプレイやシチュエーション再現に重きが置かれていた。
代表的なシステムとしては《番長学園》《熱血専用》《天羅万象》などがある。
実際、上手くいった時は以前のシステムでは味わえないほどの面白さがあった。
だが、相変わらず…というよりは更に“言った者勝ち”な状態となってしまった。
上手いセリフやロールプレイが出来なければグループから外れるし、今度はシステムによる規制がないため、戦闘時にすら発言する機会がないからだ。
結局の所、面子が良くなければ(お互いにたてあうような人と遊ばない限り)全く楽しめない遊びになってしまったのだ。
辛かった。
本当に辛かった。
言いたい事が表現したい事がたくさんあるのに、それができなかったから。
「言えばいいじゃないか」と言う人もいるが、それはできる人間のセリフだ。
性格などの理由で、なかなか出来ない人だっているのである。
ワシだってそうだ。
まさかゲームのために性格改造までやろうと思わないし、言われる筋合いもない。
むしろ、出来ない人をどうするか考えないようではゲーマー、ユーザー、どんな呼び方でもいいがゲームを遊ぶ者としては失格である。
なぜならゲームは万人に楽しめるものでなくてはならないから。
そうして努力しながらもグループから外れ、何もできない時間が多かったワシはやがて運命のゲームと出会った。