原点に帰っての考察4〜またはFEARの功績と問題点

FEARゲーの代表作、《トーキョーNOVA》と《ブレイド・オブ・アルカナ》。
《NOVA》や《ブレカナ》などの略称で多くのユーザーに親しまれている、これらのゲームにもキャラクターの唯一性を高め、保証するためのシステムが搭載されている。
ハンドアウト、シーンプレイヤーなどの概念である。

特にユーザーがTRPGに慣れていなければ、これらのシステムの効果は絶大だ。
ハンドアウトには、そのシナリオに必要な役回りが書かれている他、NPCとの関係や付加される設定などが書かれている。
ハンドアウトによって、自分がシナリオでどういう役回りかが掴めるため、活躍の場をあるていど予測できる。
キャラクターの唯一性を高め、本来ならPLのスキルに頼らなければ掴めなかった、“活躍するタイミング”をシナリオ開始前から知る事ができる。
また、「そのシーンにおいてはシーンプレイヤーが主役である」と定義したシーンプレイヤー制により、今の自分が主役か脇役かが簡単に理解可能だ。
「このシーンは相手を盛り上げる事に徹して、次の自分のシーンでは…」といった、先を見越した行動がTRPGに慣れていないユーザーでも容易にできるようになったのだ。
またシーンプレイヤー制のおかげで、発言できるタイミングがシステム的に保証されたので、初心者でも思うままに演出や発言が可能となる。
ワシのような、なかなか発言できないユーザーでもゲームに参加させ、スキルを上達させた。
現時点でこうしたシステムを搭載したのはFEARゲーのみだ。




とはいえ、FEARゲーにも欠点はある。
まず、自由度の確保のためにデータが多く、初心者ではキャラクターを作る事も難しい事。
次に、シーン制を理解してないと、人のプレイを見てるしかない事(この問題はお互いに出番を融通し合わないと、特に起きやすい)。
基本が同じシステムなのに細かいルールが違うため、混乱しやすい事。
エラッタ(誤植)が多い事。
…などが挙げられる。
こうして見ると問題点が多い(笑)わけだが、それでも一時期消えかかっていたTRPGを復活させた功績は大きい。
実際、ワシが発言のタイミングや、出番の融通の仕方を学んだのもFEARゲーを遊び続けたからだ。
戦闘以外では何もしゃべれなかったワシも、今ではNPCやPC乗っ取りの常習犯である(おひ)
さて。
ここまで書いて、ようやく3rd以降のD&Dを否定する理由に至った。
今のD&Dが自由度を高めるあまり、ソードワールド状態になってしまっていて、キャラクターの唯一性が保証されていないからだ。
唯一性の重要さは機会を改めて書くとして。
唯一性をないがしろにしているゲームはやはり良くない。
ゲームに参加する意義がなくなってしまうのだから…




以上で、5回にわたって書いてきた考察を終わりたいと思います。
拙い文章ではありましたが、なるべく理解してもらえるように書いたつもりです。
読んでくれたアナタが、この考察から良い影響を受けてくれる事を祈りつつ…
それでは、また。