伝えるということ、プロであるということ

 今回のSAPIOに掲載された《ゴー宣》を読んでみた。
 丸々一話使って、パチンコ問題についての主張が書かれていたが、いつものような理路整然としたものがなく、言論として破綻していた。

 パチンコに狂って借金したり、子供を蒸し殺しにするのは自己責任というのは、正論だとワシも思う。
 だが、それならパチンコ化も、小林よしのり氏の自己責任ではなかろうか?
 本分である、作品執筆以外の金策をしたのだから。
 そして、本分以外の金策をするほどの売上しかないのだから。
 読者に個人の懐事情を打ち明けられても、「だからなに?」としか言えない。
 「雅子妃がキャリアを否定されて、ストレスを感じている」と、テレビで主張された皇太子殿下を見た時と同じ感想しか言えない。




 だから、なに?




 社会や仕事において必要とされるのは、「仕事や役割に+となるキャリアや能力」であって、それ以外のものなど否定されて当たり前。
 これが世の中の風潮であり、効率を優先させれば、そうした風潮になるのは当然の流れ。
 環境に不満があるなら、環境を作ってる人間、仕事なら上司や会社に言うべきで、顧客に言うことじゃない。
 漫画家の場合、出版社や中間業者に言うべきことだ。
 顧客や観客にできるのは、出版社や中間業者に環境を改善するように問い合わせることぐらいだろう。

 プロとは、商業行為をすることではない。
 自身の仕事と力量に誇りを持ち、一方で謙虚に実力を上げ続けることのできる者だ。
 他者が必要とするものを提供し、その対価として、こちらの要求するものをもらう。
 対価は金とは限らない。
 だから、ワシの認識では、“プロのボランティア”も存在することになる。
 自分の望む対価が払われないなら、相手が払わざるをえないほどの仕事をするしかあるまい?
 他者のせいにしたって、不満な環境に変わりはないんだから。
 主張を相手が理解できないというなら、嫌でも理解できるような結果を出せばいいんだし、それができるような実力をつけるしかないじゃないか。
 そんな努力も棚に上げて文句ばかり言ったって、誰も聞かなくて当たり前じゃないか。

 《お坊ちゃまくん》時代から著作に親しんできたワシとしては、今回のゴー宣での主張はすごく残念だ。
 自分の実力不足と商才の無さを、他者のせいにしているのだから。