デモンパラサイト 『あの日の夏、ぼくたちの夏』24


 ミナが変身を解き、脱ぎ捨てた浴衣を拾って手早く羽織った。
 そして手を取り合い、走りだす2人。
 少しでも早く、この場を離れなければならない。
 しかも、正人はまだ手負いで、ミナは満身創痍だ。
 せめて行動くらいは素早くなければ。
 逃走の緊張感に当てられながらも、傷ついた体に鞭打って走った。


 「行けるか?」
 「うん、大丈夫。正人こそ支えなくていいの?」
 「伊達に不良はやってねえよ」


 会話で痛みを紛らわしながら走る。
 正人は繋いだ手を通して、ミナが一瞬だけ大きく震えたことに気付いた。
 それをミナに問おうとする前に、


 「だめっ!」


 叫びとともに横に突き飛ばされる。
 その時、正人の中で時間の感覚……いや、自分に見える世界がおかしくなっていると思った。
 ミナが虚空に浮いていた。
 左胸からは不気味な深紅の柱が突き立っている。
 その姿に生命感はなく、手足は糸の切れた人形のように垂れ下がっていた。
 その光景に音はなく、色もなく、そして時の流れもなかった。
 全ては無音で、灰色。
 一枚の陰惨な絵画のごとく時は止まっている。
 だから、正人はこれが悪夢なのだと思った。
 もしくは幻覚か。
 崖を飛び下りた時に、頭でも打ったのだろう。
 そうだ、そうに違いない、打撲というものは後から……。


 「はあはあ……ちっ、心臓を貫いてしまったか……。これでは、助からんな」


 正人の、思考という名の現実逃避は中断された。
 さきほど倒したはずの、白石の舌打ちによって。


 「ただの人間と、実験体一匹に……飛行能力まで使わされて……この結果か」


 見れば白石は相変わらず変身したままであり、その背中にはいつのまにか、氷で作られた羽があった。
 彼は、地面に伏した状態から飛行し、槍による突撃を行なったに違いなかった。
 おそらくは行動できなくなるほどの、しかし致命傷にはならない打撃をミナに与えようとしたのだろう。
 彼の誤算は、ミナが自分の身も顧みず正人を守ろうとしたこと。
 そして、それに驚いてしまって槍を逸らすことができなかったことだ。
 残酷にも、世界に音と色と時の流れが戻ってしまった。
 正人に向かって、ミナが粗大ゴミのように投げられた。
 なんとか受け止めるが、衝撃に呻いてしまう。
 白石は正人を一瞥した後、興味を失ったかのように背中を向け、彼の後を追ってきた部下たちに指示を出した。


 「0037が死亡した……死体の回収と、人間の始末をしておけ」


 憮然とした声でそれだけ言い残すと、白石はさっさと上の丘へと飛び去った。
 この場にいるのは正人とミナ、そしてこの場に向かっている男たちだけだ。


 「ミナ! ミナ! しっかりしろ!」


 必死になってミナに呼び掛ける正人。
 少女の左胸からは真っ赤な血が噴き出し、少女はおろか正人の全身を自身と同じ色で染めていく。
 不思議にその出血は、正人の呼び掛けの間に徐々に収まっていっていたが、それでも致死量に達するのは時間の問題だった。


 「はあ、は……がばっ!」


 苦しそうに呼吸をしようとするミナ。
 しかし、口から吐き出される血が、僅かばかりの空気を取り込むことすら許しはしなかった。


 「死ぬな! 死なないでくれ! ……頼むよ、もう、これ以上は……」


 正人は正気を失いかけていた。
 何度も訪れた、大切な人の喪失。
 ある人は死に、ある人は正人の前から行方も知らせず去った。
 原因は悪意ある者による蛮行と悪行。
 そして今また、同じように……。


 「……人……」
 「!!」


 微かな少女の声。
 虫の羽音よりも小さなその声を、正人は聞き逃さなかった。