デモンパラサイト 『あの日の夏、ぼくたちの夏』25
「ミナ……!」
ミナに意識があるとみるや、正人は消えゆく命をつなぎ止めるべく呼び掛けた。
そんな必死の叫びも聞こえているのかいないのか、ミナはボソボソと呟くだけ。
「ごめんね……巻き込んどいて、守れなかったよ……」
「んなことは、いいんだ。今からでも逃げりゃあいい」
「体……もう、動かない……」
少女の体からぬくもりが消えていく。
血は止まらない。
薄く開けられた目は、夢でも見ているかのようにぼんやりとしている。
それがなんであるか、正人には分かっていた。
分かっていたからこそ、分かりたくはなかった。
「くっ……はあぁぁぁ……」
少女がひとつ、大きく息を吐く。
それは溜息なのか苦痛の喘ぎか、それとも嘆きだろうか。
そして。
「ああ……もうっ……キス、した、かったなぁ……」
その呟きとともに、潤んだ瞳から音もなく涙が流れた。
それは正人が見る彼女の、初めての涙。
そして聞いた彼女の、初めての願い。
懇願。
マイペースにみせかけて、いつも遠慮して、いつもこちらに気を遣っていた少女が……初めて素直に願いを口にした。
ミナの両の瞼は閉じようとしている。
もはや時間はなかった。
「……!」
少年が少女と口づけを交わす。
ともに全身が血にまみれたその姿は、紅い衣を纏った恋人同士のように見えたことだろう。
あの丘にいた時にはぎくしゃくしていたが、今はそうではなかった。
唇と唇が触れ合い、そして数秒か十数秒。
正人が顔を離した時には、ミナはすでに瞳を閉じてしまっており。
二度と、目覚めなかった。
キスしたのが分かっただろうか?
そのキスに込めた、彼の願いは?
答えはない。
永久に、答えは出ない。
「……」
川辺では花火が始まったのだろう。
花火が上がる。
一瞬の閃光と誕生の産声を人々の記憶に刻み付けて、火の花は静かに散っていく。
花火の命は一瞬。
華々しく咲いて、跡形もなく散って、それで終わり。
しかし、ミナは?
ミナは人間だ。
なぜ彼女が、花火のように一瞬で散らねばならないのか。
自分の想いも果たせずに。
望んだ花すら咲かせられずに。
「……」
正人たちの都合などお構いなしに、男たちが近付いてくる。
それを知覚しながら、意識しようともしない。
心には、ただただ、怒りと悲しみと憎しみがあるだけだった。
正人の脳裏に、様々な光景が次々と映し出された。
巻き込まれたトラブルから自分と母を守るため、行方も告げず去った父。
人に人生を狂わされ、失意のうちに学校を去った朱夜。
生まれて間もなく車に轢かれ、内臓を日に焼かれた子猫。
そして――理不尽に耐えて懸命に生きながら、ささやかな願いすらままならなかったミナ。
(なんでだ?)
正人が知る限り、みんな優しかった。
一生懸命、何者にも頼らず、必死に生きていた。
なぜ、こうも理不尽に傷つかねばならない?
なぜ、死ななければならなかった?
ナ、ゼ、コ、ロ、サ、レ、ナ、ケ、レ、バ……?
少年の内から湧き上がる衝動。
その正体に気付いた時、少年は戸惑った。
それは人として禁忌の衝動だからだ。
しかし、やがて受け入れた。
身を焦がすのではなく、身を溶かすほどの激情を、そこから感じる力を。
「なんだ!?」
朱夜が丘に着いた時、最初に見たものは崖の下から100mほど先から吹き上がる炎の柱だった。
大地を揺るがすほどの轟音と、こちらまで焼けるのではないかという圧倒的な熱量。
嫌な予感にかられた朱夜は、やがて炎が収まると、すぐさま崖に向かって飛び下りた。
転がるのかと思いきや、崖に垂直に立ち、そのまま走り出す。
その足運び、体勢、走り方は重力を無視したものだった。
横から響く音と砂埃が目につき、そちらを向くと、崖を滑り下りる一匹の犬がいた。
訝しげに見ていると犬も朱夜に気付いた。
交差する視線。
たったそれだけで、両者はお互いの正体を理解した。
崖を下り、炎の柱が上がってところまで走る1人と1匹。
彼らが見たものは、炭化した生物の体の残骸と、その中心で倒れこんだ正人だけであった……。
第1話、完。