美辞麗句を着飾った利権の塊


 ネットや2次元を規制し、犯罪を防止しようという動きが出ている。
 理論的な反論は、すでに他の方々によってなされており、そのひとつひとつがもっともであるため、ワシが口を出す余地はない。


 しかし、立法する政治家にとっては理論や論理が間違っていようと、どう考えても矛盾や抜け道だらけの、存在すること自体が害悪にしかならない法律であろうと、そんなことはどうでもいいのである。


 なぜか?
 自分の懐に金や利権が入り、儲かるからだ。
 金がいらない政治家などいはしない。
 金に『実弾』という隠語が使われていることからも分かるように、政治家と利権はひとまとめなのだ。
 本来、政治家とは国民の生命と財産を守るべく、その身を犠牲にして国に尽くす公僕なのであるが、今や政治家は利権の下僕でしかない。


 ネットを規制して利権を得るのは、TV局などの既存メディア、そして既存メディアと癒着している政治家である。
 児童ポルノ改定案に2次元規制を盛り込む一方で、過激化の一途を辿るジュニアアイドルや《恋空》に代表される未成年(主人公はたしか高校生だったはずだ)SEX讃歌作品を規制しないのも、既存メディアと癒着しているからである。
 2次元メディアを親の敵のように敵視するのは、利権をもたらさないからだ。
 もともと2次元メディアは愛好する者同士で成り立った、閉鎖的なメディアだ。
 自分たちだけで満足し、そして活動を続けるための利益ぐらいしかないため、政治家や団体や組織に癒着できるほどの貯えはないのである。
 もしくは、ワシの知らない理由で癒着できない(しない)のかもしれないが。
 そこが、利権と癒着の亡者たる政治家には我慢がならない。
 「自分たちだけで好きにやりやがって、こっちに金をよこせ! でなきゃ潰してやる!」
 これが政治家たちの本音だろう。


 自分たちに利権をもたらさないから、潰しにかかっているのだ。
 そうした者たち相手に、いかに理論・論理・学術・常識・分析に基づいた意見をしようと、「そんなの関係ねぇ!」と排除に取り掛かるだけである。
 そして、その極めて利己的かつ醜悪かつ権限を私的に乱用するのを、『人権』『保護』『平等』『正義』といった聞き触りの良い言葉を羅列して、自分の醜さを取り繕うのだ。
 こうした行為を罪悪感もなく、当然の顔をしてやってのける相手を正論でもって説得しようとするのは、人肉の味を覚えた飢えた獣に人道を説くようなものである。


 つまりは、正論を言うだけ無駄だということだ。
 利権にしがみつく亡者にたいして有効なのは説得ではなく、圧倒的な世論とそれによる利権の剥奪である。
 つまりは、『利権を手放すか滅びるか』の二者択一を迫るのだ。
 それでも利権や癒着にしがみつくようであれば圧迫を続け、共倒れになるように仕向ければいい。
 《キーチ!》でも描かれていたが、「相手が折れざるをえないほどの損失を意識させることが重要」なのだ。


 政府や既存メディアによる洗脳と圧迫。
 これに屈すれば、亡国は確実である。
 彼らにあるのは、自分たちが肥え太りたいという欲望だけなのだから。