人権擁護法案は、合法化されたデスノート
MIXI内でのイベントに参加した。
集団運動は好きではないのだが、広報という意味での意義はあると思うので、ここでも書いてみる。
《デスノート》という作品については、もはや語るまでもないほど有名な作品だと思う。
偶然にも死神が使うデスノートを拾った高校生、夜神 月(やがみ らいと)。
月は人を死に至らしめるデスノートと、死神リュークと出会ったことで、自分の中にあった計画を実行していく。
さて、名前を書き込むだけで人を死に至らしめる、このデスノート。
使われるほうはたまったものではないが、使うほうは世界の王にでもなったような感覚だろう。
その気になれば、自分が気に入らない人間を殺せるのだから。
この作品が連載されていた頃から、随分と物議を醸し出し、マルチメディア化するなど、大ヒットした。
ただ、このデスノート、架空のものとは言えなくなってきている。
人権、の二文字がついて実に聞き覚えのいい法案だが、その性質はまったくの逆。
いわば合法的なデスノートといえるものだ。
約2万人の人権擁護委員が独自の判断で、人権侵害となるものを決め、一方的に処罰を与え、それに逆らうことはできない。
家宅捜索や、名前や住所、勤務先といった個人情報さえも日本全国に公開可能。
なお、人権擁護委員の判断が間違っていたとしても謝罪の義務はなく、間違いであったと発表の義務もない。
高度な社会構造と文化を持った日本において、そして多くの先進諸国などにおいて、人の死とは肉体的なものだけではない。
文明社会での人の死とは、肉体的、精神的、社会的の3つがあるのだ。
最初に話したデスノートが肉体的な死を与えるものなら、人権擁護法案は社会的な死を与えるものである。
しかも、デスノートは相手の名前を知らないと使えないし、名前を知ろうとすると、いろいろと策を弄しなくてはならない。
が、人権擁護法案は相手の名前や個人情報が分からないなら、無断で合法的に調べることができる。
さらに恐ろしいことに、人権擁護法案というデスノートは、2人や3人が持つのではない。
2万人の人権擁護委員が持つのである。
しかも、人権擁護委員になる条件に国籍は関係ない。
外国人も人権擁護委員となれるのだ。
悪用されれば、自分たちの国に都合の悪いことは、人権侵害の名の元にデスノートに相手の名前を書き、社会的な死を与えられるのだ。
たった数人の人間がデスノートを持っただけで、世界は混乱した。
では、2万人もの人間が、人権擁護法案デスノートを持ったら?
いったい、日本は、世界はどうなるのだろうか?
ぜひ想像してほしい。
そして、このような法案が、報道されることもなく可決に向かおうとしていることを忘れないでほしい。
そして、できればこの事を知らない人に教えて、意見を聞いてもらえないだろうか?
人の命が、あなたの命が掛かった法案なのだ。
殺されてからでは遅いのである。