デモンパラサイト 『あの日の夏、ぼくたちの夏』16


 極力目立たず、かといって場違いでもない装いで、少年は祭りを楽しむ雑踏の中にいた。
 祭りを楽しむために来たわけではない。
 彼、黒桐朱夜にとって、これはリハビリなのである。
 2年ほど前から続く人間不信とそれに伴う不愉快な症状。
 恐怖症もあるかもしれない、と朱夜は自己分析している。
 つい最近までは、外に出る理由も必要もなかったため、家から離れることはなかった。
 だが、自分に起きた変化、それに関連して実現の目処のたった目的。
 その目的のため、最近はこうして街へと出て、人ごみの中に己が身を投じている。


 (それにしても……)


 これほどうるさかっただろうか。
 人々の声が、人々が生み出す喧騒が。
 自身の感覚が鋭くなったせいか。
 それとも、心に刻まれた傷が自分でも分からないうちに疼いているせいなのか。
 いささか思考を巡らせてみるものの、答えは出ない。


 (いきなり賑やかな場所は無理だった、ということかもしれないな)


 数日前の朝、同じようにリハビリをしていたら、中学来の友人に再会した。
 友人は変わっていた。
 良い方向にではなく、悪い方向に変わっていた。
 朱夜の記憶にある正人は、あんなにもギスギスとした感じではなかったはずなのに。
 正人が、錆び付いたうえに油も切れた機械のようにも見えてしまった。
 それでも自分を覚えていて、自然に話しができたのは素直に嬉しかった。


 『なんかあったら、力になる』


 そう言ってくれたのも、やはり嬉しい。


 (……とはいえ、手助けしてもらうことでもないが)


 そう、これは自分一人でやることだ。
 誰にも代わりはできない。
 ましてや、手助けなどは論外。
 否、禁忌だ。


 (さて――)


 これ以上、この場にいても意味はない。
 そう結論づけた朱夜が来た道を戻ろうとした時、携帯が着信を告げた。
 画面には『上田 正人』の表示。
 すぐに通話ボタンを押し、構える。
 受話器の向こうから聞こえる声は予想に反して軽く、弾んでいるようだ。


 「どうした、正人」
 「朱夜、今大丈夫か?」
 「ああ」
 「なんか後ろがうるせえな……って、お前も祭り見に来てるのか?」
 「……そうだな」


 時間にして数秒、間を置いて肯定する。


 「なら、あそこまで来てくれねえか?」
 「あの特等席か?」
 「ああ、頼む」


 ここで朱夜の脳裏にある疑問が浮かぶ。
 そして、次の瞬間にそれを問うてみた。


 「正人、なにを焦っているんだ?」
 「いや……実は連れがいるんだけどよ、なんか慣れなくてな」


 その正人の答えで早くも合点がいった。


 「あの時探していた子だな?」
 「ああ、よく分かったな」


 当然だ。
 今の正人は、2年前の正人と同じ。
 数日前の、疲れ果てた正人ではなく、力と希望に満ちた正人だ。
 そうであれば、付き合いの長い朱夜なら言外の領域さえ、理解できる。


 「ところで――」


 朱夜は唐突に口調を正した。


 「なんだよ」
 「しばらく時間をあけたほうがいいか?」
 「ば、ばかやろう! すぐ来いよ!?」


 事も無げに言う朱夜とは対照的に、正人は動揺のあまりろれつが回っていない。
 思わず吹き出した朱夜はやがて、天に向かって盛大に笑いだす。
 こんな笑いかたをしたのは何年ぶりだろうか?


 「冗談だ、すぐに行く」
 「ほんとに早く来いよ!」


 通話が切れる。
 正人は最後まで動揺したままだったようだ。


 「さて、行くとしようか」


 よく見知っている、あの場所へと向かう。
 心はどこか晴れ晴れとしていた。
 それは、友の心が疲れきっていないことを確認できた安心感からであろうか。
 足取りはしっかりとしており、あれほど癇に触っていた人々のざわめきも、今は気にならなかった。