デモンパラサイト 『あの日の夏、ぼくたちの夏』11
時刻は午前0時。
巨大な空間に造られた施設の一室に、その男はいた。
白衣を着込み、片手には専門的な内容が記された資料を持っている姿は、なにかの研究者のように見えるだろう。
その見立てで間違いない。
衣服の着こなし、資料の持ち方や読み方全てが堂に入っているから。
そしてなにより、男自身から途方もない知性と洞察が、誰の目にも見て取れるからだ。
頭から生えている白髪と顔や手に刻まれたシワなどで、初老の域に達していることが窺い知れる。
男を主とする、その部屋には至る所に計器やモニター、山と積まれた膨大な資料が置かれていた。
明りを消してなお、計器やモニターは稼働し続けており、それらが放つ光に満たされていて、さながらプラネタリムだ。
男は、部屋の奥に備え付けられた机と椅子に体を預け、満足げな様子でモニターが映し出す数値に酔いしれていた。
その時、唐突にベルの音が鳴る。
男のそばにあった固定電話からの着信音。
男が電話を取り、名乗った。
「ワタシだ」
多少くぐもっているものの、やわらかで余裕を感じさせる声と流暢な語り。
男の顔もまた、声を裏切らぬ風貌である。
しかし、そうした印象は男の持つ顔の、ほんのひとつに過ぎない。
男が風貌通りの人間であると考えるのは、あまりに浅はかな認識だ。
「教授、白石(しらいし)です」
「おお、白石くんか。どうしたのかね?」
白石と名乗る男の声に、教授と呼ばれた初老の男は待ち兼ねたと言わんばかりの喜びようだった。
「両名、共に発見。準備が整いました」
淡々と行動と結果を報告する白石。
彼の声もまた、知性的であり人当たりのよいものである。
だが、鋭い者ならば、その奥に底冷えするほどの冷たさを感じるだろう。
さらに賢い者ならば、そのような印象を話したりはすまい。
話した結果がどうなるかなど、容易に想像できてしまうのだから。
つまりは、そういった類いの人間。
教授と白石。
この2人は、見せ掛けの温和さと本物の危険性を持ち合わせている点において、共通していた。
しばしして、報告を聞き終えた教授。
白石がGOサインを待っていることに気付いていた。
しかし。
「いや、今はいい」
そう答える。
「なぜです?」
当然、白石が疑問を投げ掛ける。
教授は楽しそうに自身の考えを伝えた。
「もう少し様子を見ておきたいのだ。白石くん、ワタシの推測は当たっていたようだよ」
「……では、まさか?」
「そう、あれほど変化のなかった数値が、目に見えるほど上昇している。白石くん、やはり今までのやり方では良くなかったらしい」
「そうですか……」
興奮気味に話す教授に対し、白石は驚きを隠せないといった様子。
しかし、何の話であるかは省略が多用されているため、端から聞いていても分からない。
2人の間で理解している専門的な内容なのだろう、とかろうじて推測できるくらいか。
「それにだ、いささか静かすぎる。時期が早いのだ」
「と言いますと?」
「白石くん、たしか今日……いや昨日は7月21日だったね」
「はい」
「ならば、もうすぐ行動を起こすに最適なイベントが、その辺りである。それまでは逃さぬよう監視を続けたまえ」
白石はしばらく沈黙を続けていたが、やがて思いあたるものがあったらしく、「分かりました」と答えた。
「それでは、報告終わります」
「うむ、ごくろう」
挨拶を交わし合い、電話は切れた。
再び静けさを取り戻した部屋で、教授は一人笑う。
「ふっふっふ……素晴らしい、実に素晴らしい。まさしく人類を高みに誘う箱船のようだ」
モニターの数字に目線を移し、教授は笑い続けた。
その目はあくまで穏やかで純粋で、そして凶暴だった。