FEARシステムを批判する前に、全てのTRPGユーザーは自省すべきだと思う

他のサイトを回っていると、FEARシステムに対する批判を見掛ける時がある。
曰く「PLがCRPGの感覚でプレイされて困る」
曰く「FEARゲーで入ったPLが受け身ばかりで、自分から行動しない」
曰く「FEARシステムはPLを信用していない」


たしかに。
それはその通りと言え、彼らの理論に指摘したり否定することはしない。
また、その余地もない。




だが。
なぜFEARシステムが確立されたのか、その理由について考えた時に、こんな仮説は成り立たないだろうか?


『FEARシステムは、PLやGMを救済するために生まれる必然のあったシステムである』


…と。




前の日記にも書いたと思うけれど、シーン制やシーンPL制、ハンドアウトなどがTRPGに導入される前はワシのようなPLは本当に苦労していた。
なにせ1〜3人のベテランが話を進めるから、ワシが口を出す隙なんかない。
利害に反してるわけでもないので、口を出す理由もない。
でも、それはまだいいほうで…。


でしゃばりPLや吟遊詩人GMによるオンステージに始まって。


延々と繰り広げられる、細かいルールに対する議論。


しまいには初めてのルールでPLやってて、セオリーから外れていたり間違った行動を取ると、親の仇のように指摘して「勉強しろっ!」と言うとか。




そんな阿鼻叫喚の昼ドラのような状況も、FEARシステムの登場でだいぶ改善された。


シーン制の導入で、素早い判断ができない人でも会話のイニシアチブを取れない人でも最低限、発言の機会が与えられるようになった。
また、シーンPL制は、でしゃばりPLや吟遊詩人GMを黙らせることに大きく貢献している(シーンへの登場権はシーンPLが持っていることが多く、PLからシーンを提案することで吟遊詩人GMの計画を崩すこともできる)。


ゴールデンルールは、ほとんど不毛なルールの議論の抑止力となりうる。


FEARシステムは、これまでのTRPGの現場で起こっていた問題に対する1つの解決策、または保険なのだ。
「FEARシステムはPLを信用していない」というが、好みや思考パターンや知識量を知り尽くしている者同士ならともかく、たとえばコンベンション等でほぼ初対面状態の参加者を信用などできない。
もし彼ら(彼女ら)の発言や行動ひとつで、セッションが崩壊し、その後の時間がつまらなくなることのほうが問題だ。
他の娯楽に比べて負担の大きいTRPGで、そのような問題が起こってはならないのだ。
FEARシステムは、そうした“最悪の事態”が起こらないよう、システムやルールで事故る確率を減らし、最低でも『楽しいまではいかないが、つまらなくはない』状態まで持っていくことに成功している。




FEARシステムを批判する前に、FEARシステム登場以前の問題について考えてみてほしい。
そして、自分がそうした問題を引き起こす行動を取っていなかったかを、自分に問い直してほしい。
それから批判しても遅くはないと愚考する次第だ。