映画《告白》


 ふとした気まぐれで天神に出掛けたワシは、前々から興味のあった映画《告白》を見た。
 感想は一言。
「すっげー愉快痛快爽快!」


 まとまりなく、猿のように生徒たちが騒ぐ教室。
 そこで、女性教諭の森口が「私の娘はこのクラスにいる生徒によって殺されました」と、淡々と告白するところから物語は始まる。
 犯人探しかと思いきや、犯人は開始10分で特定され、森口の復讐宣言→実はすでに実行済みですのどんでん返しコンボが、さらに衝撃を与える。
 そこから先は、犯人を対象としたクラス内でのいじめ、自宅にひきこもって狂っていく共犯者、熱意は評価できるが物事を悪化させてしかいない熱血教師などが描写される。
 その後はクラスの比較的まとも(に見える)女子→犯人→共犯者の母といった面々が、代わる代わる独白していく。
 正直いって、まともな独白者は誰一人いない。
 全員が歪んでおり、独善的であり、誰とも繋がってないのだ。
 中盤からは森口教諭はまったく出てこなくなり、またある真実も判明する。
 やがて事件は解決し、誰もが救われるかと希望を抱く。
 この先は詳しく書かないが、そうした希望は裏切られることになる。
 ほかでもない、事件の当事者や関係者自身の、自業自得によって。


 この映画を見たあと、嫌な気持ちになるか、爽快感を感じるかによって、その人がどんな人生を歩んできたかがわかる。
 どれほどの悪意に曝されてきたかが分かる。
 この映画は踏み絵である。
 この映画にリアリティを感じなかったり嫌な気持ちになるなら、その人は善意に触れ、人間に絶望せずにすんだ、恵まれた人である。
 自分の幸運と幸福を誇っていい。
 リアリティや爽快感やカタルシスを感じた人は、悪意にさらされ、人間に絶望せざるをえない経験を積まされた、恵まれない人である。
 それでも真っ当に生きてきたなら、何も恥じることはない。
 自分の感覚を信じていい。


 他のレビューなどを見てみると、「リアリティがない」「100%虚構」「真の被害者は犯人」「歪んでいる」などの意見が多い。
 が、ワシは断言する。
 レビュアーは自分たちの識でしか、この映画を捉えておらず、明らかに曲解・誤解・見当違いを起こしている。
 どうか理解してほしい。
 この映画で描かれたものは、全て現実なのだと。
 この映画はフィクションではなく、ノンフィクションなのだと。