《デスノート》に見た、力持つ者の心理
初めて《デスノート》の映画版を見た。
アニメや原作で見たエピソードと重なっていたので、個人的には不満な内容になってしまった。。
でも、なかなか編集はできてると思う。
ただ、月が保身に走ったのは残念だな。
あれなら正義だのなんだのいわずに、バッサリと独裁者になっちゃえば良かったのに。
自分が定めたルールすら破ってまで保身に走るのは、力を持った者の宿命か?
だとすれば悲しくも愚かしいことだ。
勉強もできて常識もあり、人並の正義感さえ持っていたはずの少年を、保身に走らせたもの。
それは万能に近い力の誘惑に負けたからではないのか?
天才と呼ばれ、知識も知恵もあった少年ですら、コントロールできなかった力。
そんな力が今、コントロールできない人間の手によって作られようとしている。
もはや耳タコかもしれないが、人権擁護法案だ。
法案が施行されれば、人権擁護委員が選抜され、万能ともいえる力を合法的に振るえ、なおかつお咎めはない。
コントロールできるのか、人間に?
神ならぬ、人間に?
無理だと断言する。
楽観視する人もいるが、それは危険極まりない。
あなたがもし万能の力を持ち、世界の神になったとして。
力の誘惑を振り切り、みんなのために頑張れるのか?
やはり自分の利益を優先し、力を維持するために保身に走るのではないか?
身のたけに合わない、万能の力を人間が持つべきではないし、作るべきでもない。